成長が人より早かった私は、子供の頃は超のつく優等生でした。だから優等生じゃない人生というのがわかりませんでした。年をとるにつれ、周りの成長が追いついてくると、どうやら与えられた才能自体は乏しいということに薄々気づいてきます。でもそれを認められなかった私は、優等生のふりをして、化けの皮が剥がれないようにごまかすことに必死で生きてきたように思います。
でも上を見れば山のようにいます。
100点満点に輝く立派な人たちを見て、そこに理想の自分を重ねて、私だって頑張ればそうなれるのでは、と思ってきました。
でも実際のところ、与えられた才能なんてこれっぽっちもない。持ち点は50点くらいでの勝負になるので、どんなに背伸びしても60点がせいぜいです。
なのに基準はいつも100点満点の輝く理想の自分。
仕事はバリバリ、どんなに働いても壊れない鋼の体と心。趣味の時間もおろそかにせず、忙しい時も美容とファッションもバッチリな人。どんなに忙しくたって、家事も完璧に、家計管理もしっかりと出来て当然だと。
…元がダメ人間な上、体も心も強くないのだから到底無理だったんです。でも無理だなんて認められなかった。子供の頃は人一倍できる子だったから、大人になった今だってやればできるはずって信じ込んでいたんです。
けど、努力しても努力しても、所詮恵まれてない頭と心と体です。努力しても努力しても、足りないところばかりが目立ち、毎日失敗している気分でした。
失敗ばかりだからストレスもたまって投げやりになります。投げやりになってやけ食いしたりして、セルフコントロールがどんどんきかなくなり、ますます悪循環にはまる日々。
自分を卑下するということは、一見謙虚に思えるけど、でも実はとっても傲慢です。
常に理想の自分と今の自分を比較することが習い性になった私は、他人のことも無意識にそういう目で見るようになっていました。
しかも私の目には70点くらいに見える人たちも、本当の自分と比べればずっと立派な人たちなのに、100点になれるはずの理想の自分と比較するので、マイナス30点と、アラばかりが目につく始末です。
点数つけているだけなのに失礼な話なのに何様って感じですよね。
もちろん優等生ぶりっこしていたので、他人の悪口は絶対に言わない主義でしたが、言わなくたって人を値踏みする視線は相手にバレていたと思います。
鈍感な私だって値踏みされていれば気づくもん。
また、本当は50点程度の自分を褒めてくれる人のこともバカにしていました。私のあらに気付かないなんてバカな証拠だし、それで良いと思ってるなんて向上心がかけているし、取り繕って60点を保ってることに気付かないなんて人を見る目もないと思ってました。
本当に他人に対して失礼です。自分が好きじゃなかった私は、自分に好意を持ってくれる人のことまでバカにして、結果周りから人が離れて行きました。
もうそういうのはやめようと思います。
どんなにあがいても、私は100点の人生など送れません。いつも他人の視線が気になっていたけれど、そもそも私気にしなければならないほど関わりのある他人すらいなくなっていました。
頑張ったところで認めてくれる人もいないし、私がどん底に落ちたからって悲しんでくれる人もいなかったんです。だったらもう無理して頑張らなくたって良いですよね。頑張るより私は私を大事にした方が良いと思えるようにやっとなりました。
いつも自分の評価に自分で傷ついていたけれど、だったら自分で自分を評価しなければよかったんです。
それに今からそれを目指したところでもう遅いです。100点になったら何かが変わるのかと思ったけど、努力して+10点の上げ底を維持することに必死に生きていて、手に入るものは何もありませんでした。体と心を壊しただけでした。
もういいや、と思いました。
というわけで、私はもう無理しません。理想の自分と戦いません。できの悪い自分を好きになることはできないけれど、出来の悪い自分を大切にすることならできます。理想の自分と違うからといって粗末に扱うことはもうしません。
これからは劣等生であることを認めて、できないことはできないと素直に認め、なるべく楽に心地よく生きていきたいと思います。