こざっぱり!

闘病中R40独身女。それでもひっそり楽しくこざっぱり暮らしたい。

赤い口紅を選ぶということ

赤い口紅を買うことを、自分に許しました。

 

長いこと、赤が大嫌いでした。

子供の頃、家では「わがままで自己主張が強い。言葉が達者で可愛げがない」と怒られてばかり。いつしか自己主張をすることは悪いことなんだと思うようになりました。

中学に入って、無視されたりするようになると、目立って目をつけられること、嫌われることが怖くなり、自分の意見を言わなくなりました。

そんな私にとって、赤は自己主張が強くて悪目立ちする、天敵のような色でした。赤を好んで使う人は、自己主張が強くてわがままで、それは人として悪いことなんだと思っていました。

だから赤は大嫌いでした。

 

が、例えば運動会で赤のハチマキや帽子を渡されたり、クリスマスシーズンに赤い服を着なければならなくなったり、赤いチームウェアを着なければならなかったりすると、「赤似合うね」「赤のイメージだよね」と言われることが多々あり。

私はこれを単純に似合うと褒めてくれているとは受け取れず、「自己主張が強い女って思われている=人から嫌われている」と受け取って、ますます赤から離れていきました。

たとえ本当に 似合ったとしたって、出る杭、特に女の出る杭は打たれまくる社会で、目立つ赤を選ぶのは損だとも思いました。普段使えない色しか似合わないなんて、つくづくつまらない女なんだなとがっかりもしていました。

 

さて、そうやって、波風立てず意見も言わずなるべく目立たず自分を押し殺して、どうなったか。

もともと私は空気を読むことが徹底的に下手くそです。協調性もありません。だから我慢して我慢して必死で周りに合わせたつもりでも、どうしてもうまくいかなかったんです。所詮私という人間はゴツゴツしたいびつな作りなんです。当然自分でも気づかないうちに、あちこちでぶつかって嫌われて、誰ともうまく交われない。

しかも、うまく周りと同調できたとしても、私と言う人間が受け入れられ歓迎された訳ではなく、単純にいてもいないようなものとして扱われているだけだったんです。

我慢に我慢を重ねて、結局誰とも心を通わせることもできずに、かえってぶつかるばかり。これを一生続けるのかと、そう思った時に全てが虚しくなってしまいました。

 

虚しくなったからと言って、それからすぐに生き方を変えることもできず、鬱々とした日々を過ごしてきましたが、もうそれも疲れました。優等生やーめた!って、もう全てを放り出したくなりました。

そんなとき、パッと赤い口紅が目に飛び込んできたんです。

 

それまでは、とにかく無難でありたくてずっとピンクベージュ〜ベージュを選んでいました。

でも、無難な色というのは、整った顔の人しか美しく見せません。いびつな性格が表情に表れた、いびつな不細工の私が使っても、ちっとも綺麗には見えなかった。でもそれでも無難でありたくて、無難な色の安心感に長年しがみついていました。

目立ったら叩かれるから。叩かれる要素は徹底的に排除して足元をすくわれないようにするのが賢い生き方だと思ってきたから。

でも、賢くあるのが疲れた私はピンクベージュにも疲れていたんです。もう見たくもなくなった。そんな時に目に飛び込んできたのが赤の口紅でした。

 

赤い口紅を塗った私の顔はそれまでとは一変して見えました。顔色がパッと明るくなりました。優等生のなり損ねの顔ではありませんでした。空気を読んだ結果いない人扱いされたり、あるいは読み損ねて邪魔物扱いされる女の顔ではありませんでした。空気を読むことから解放されて、自分の意志で赤を選べる女の顔が鏡の中にありました。

歪な女の歪な顔にはピンクベージュより赤の方が納まりが良いように思いました。今まで「似合っている」と言われてきたのがよくやく腑に落ちました。

その似合い方は、かつての私が望むような周りと調和するような美とは程遠かったけれど、歪でデコボコだらけの本来の私という人間らしいという意味で、確かに赤は似合っていました。

 

実は、未だに親の前では赤い口紅は塗れません。ケバいとか水商売っぽいいい年をして、とか、怒られる言葉が今からポンポン浮かんできます。

職場にもそぐわない色なので使いません。でも仕事が終わって一人になった時、赤い口紅を手に取ると、なんだか少し強くなった気がします。嘘がない自分の顔になれている気がします。今まで絶対に外ではみせないようにしていた、自分の顔でいれているような気がするんです。ガチガチの嘘の顔から解放された気がするんです。それがこんなに身軽な気持ちになれることだなんて、私は今まで知りませんでした。

 

正直いうと、赤い口紅をしている時に、誰か知っている人に会ったら嫌だな、怖いな、とは今でも思います。なんて言われるかわかったもんじゃない、と。「ブサイクがなんて色選んでるんだ、似合ってるつもり?」とか。奇天烈な格好をした人に向けられた周りの人の罵詈雑言が次々と思い出されます。

どうせ私なんかのこと誰も気にしちゃいないのに、何自意識過剰になってるんだろうという気持ちもあったりするのだけれど、それでもなお、その罵詈雑言を言われる可能性があるということに身がすくんでしまうのです。

けれど、そういう文句を言われないように身を縮めて生きてきて、一体私は何を得られたと言うのでしょう。身を縮めて生きたからって悪口を言われない訳でもありませんでしたし、時にはそもそもそんなところ誰も気にしてないのに、ってところで悩みに悩んでドツボにハマったりもしました。

誰かに不快な思いをさせないように精一杯頑張ったつもりだったけれど、結局誰かを幸せにすることもなければ、私が幸せになることもなく、ただただひたすら疲れて、潰れただけでした。

 

もうそういった負のスパイラルからは足を洗います。優等生ぶりっ子はもうこりごりです。

これからは、自分を取り繕う気苦労から解放されてこざっぱりと清々と生きて生きたいです。そう言う人でありたいと、今は思います。

 

ここまで書いて、もう一つ、今まで赤い口紅を選ばなかった理由を思い出しました。

それは「使える機会が限定されてコスパが悪いから」と言うもの。

似合っても似合わなくても、赤い口紅が許されるような仕事ではないので、使えるシーンは無難なピンクベージュの口紅と比較して限られます。

そう言うものを選ぶのは消費者として賢くないと、長年そう思っていました。

今までファッションなど万事がそう言う基準で選択してきた気がします。根がセコくて貧乏性なんですよね。成人式のお祝いも、大して使う機会がない振袖なんかより、毎日使える腕時計を選んだし、一瞬しか楽しめないイベントにお金を使うなら、資格試験にお金を使った方がコスパが良くて賢い選択だと思っていました。

でもね、私の人生の時間だって限られています。

大して似合ってない色のリップを毎日使ってお金を節約することと、たまにしか使えない口紅に浪費して、でも週の数時間は自分が気持ちよくいられること、どっちが賢くて、どっちが無駄遣いなんでしょうか。

体験は一瞬でも、その後ずっとそれを良き思い出にできることと、大してやりたくもない仕事のために資格を取得するのと、どっちが私は幸せなんでしょうか。

私は今まで「お金」の無駄遣いばかり気にしてきて、無駄遣いしない優等生であることばかりを意識していて、「時間」の無駄遣いという視点が抜け落ちていた気がします。人生を楽しむチャンスと楽しく過ごせたはずの時間をドブに捨ててきたような気がするんです。

そう言う意味でも、優等生ぶりっ子はもううんざり。

これからは、楽しく生きるために無駄遣いすることを自分に許そうと思います。

使い回しはできないけれど、無難でも手堅くもないけれど、プライベートのほんのひと時を明るく彩るために赤い口紅を選べる、そういう生き方をしたいと思います。

 

赤い口紅をする人生を認められる生き方をしたいです。