昔は「丁寧な暮らし」「上質な暮らし」に憧れていて、特に一人暮らしを始めた頃は、舞い上がって、選びに選んだカトラリーを揃え、作家さんの食器も買いました。
そしてそれを毎日使っていました。
ところが、体調を崩して洗い物が面倒になって、赤ワインか何かを使った料理を陶器の器に入れっぱなしにしてしまったら、その陶器が変色していたんですね。
それ以来、扱いに気を遣わなければならないものを使うのが怖くなってしまって…。それ以来、食器もカトラリーも、手頃な価格の、丈夫で、雑に使える、割っても&無くしても買い足せる量産品ばかり使うようになり、いつしかお気に入りだったはずののカトラリーも作家ものの器も、戸棚の奥底にしまいっぱなし。存在すらすっかり忘れていました。
だけど、先日やましたひでこさんの「断捨離」を久しぶりに読み返していて、ブランド食器を日常使いするのは勿体無いと、ずっとしまったまま全く使わない人のエピソードを目にしたんです。
それはかつての自分が「それって一番もったいないじゃん」って思っていたそのエピソードでした。
なのに、今自分がやっていることは何?ってハッとしたんです。
また、そのエピソードに対して「自分はそんなレベルにない」と自分を貶めているという指摘にもどきっとしました。
最近の自分は、便利さに流されて雑に使えるものばかり手に取っていました。でもそれって、自分を雑に扱って良いと思っているということでもあるな、と。
一人暮らしって雑な生き方をしようと思えばいくらでも雑になれます。それは楽といえば楽です。でも「楽しい」かというと違う。
他に何か「楽しい」と思えることがいっぱいあって、日常生活に時間が取れないというなら、「楽」も大事ですけれど、闘病中でそれほど外に向かっていく元気がない私の場合、日常生活を「楽」だけで済ませて、「楽しい」を忘れてしまって、ものすごく味気ない日々になっていたんですね。
そのことすら気付けなくなっていたんだな、とちょっとショックだったのですが、でも気付けた今がチャンス、と思うことにしました。
というわけで、久しぶりにお気に入りだったカトラリーと器を引っ張り出してみました。
少しは毎日の暮らしが楽しくなりますように!