こざっぱり!

自分を変えようと奮闘中の闘病中R50独身女。ひっそり楽しくこざっぱり暮らしたい。体調変動が激しいので、投稿には波もあるし予約投稿も多いです。反応のタイムラグはごめんなさい。

「しない技術」を読みました。

「しない技術」を読みました。

 

しない技術 (シンプル時間管理術)

しない技術 (シンプル時間管理術)

 

この本の「しない技術」の多くは、高収入でバリバリ働いている人が、① 自分でしないでお金で解決する(家事代行サービスを頼むとか)方法や、 ② よりバリバリ働くための効率的な時間の使い方、の紹介です。

なので、低収入で低空飛行の働きぶりの私の、①人に頼めるほど収入がないのでお金を使わず楽したい、②バリバリ働くと体を壊すので、バリバリ働かずに済む方法を知りたい、という目的にはあんまりあってませんでした。

ある程度稼いでいる人には参考になるんだろうなー、仕事できる人は違うんだなー、と遠くの空を眺めてる気分でした。

 

でも、ものすごく印象に残った点が別にあって、それをきっかけに自分を見直すことができたので、今回はその話。

あ、ここから先は、本とは話がずれるので、本や著者に対する批評としてではなく、あくまでこの本をきっかけに私が考えたことなのをご了承ください。

 

それはどの箇所かと言うと、「しない技術」の一環として、「いかに時間をかけずに、効率よく、自分に利益になる人との人脈を築くか(私の個人的な解釈です)」が話題になっていること。

 

私は、「この人は私にとって危険かどうか、害があるかどうか(犯罪的傾向があるか、ネズミ講みたいなお誘いをされるかどうか、など)」という観点から付き合いを避けることはあっても、自分の利益になるかどうか、自分が利用できるかどうかで、誰かと積極的に知り合おうと思ったことがなかったんです。ましてや「効率よく」人と知り合おうなんて…。

 

誤解されたくはないのですが、いい子ぶりっ子しているわけでもなく、著者が計算高いと批判しているわけでもないです。

むしろ成功する人ってすごいなあと感心しきりです。

 

まず、私は「その人が自分にとって利用価値があるかどうか」を見極める目自体がありませんし、「人に対して具体的に積極的に望むこと」自体も曖昧…というか、ほとんどなかったりします。(必要以上に踏み込むな、関わるな、という消極的で漠然とした希望は沢山あるんですけどね。)

でも、著者の行動は、自分の望みをきちんと理解し、なおかつそれに見合う人を的確に見抜けることが前提なので、まずはスタートラインが違うんだなと思いました。

次に、このような一見すると利用するために近づいた、と誤解されかねない内容を書いても、相手が怒らないという公算があるんだ、とびっくりしました。

(頭の良い人がその危険を考えないわけがないですよね。)

ということは、著者には、自分が一方的に利用しているのではなく、自分と知り合うことで、相手にも利益をもたらしてあげられる人という自負があり、なおかつ、ちゃんと必要に応じて、ギブアンドテイクの「ギブ」を提供し、相手がそれで満足している、ということなんだと思います。

私は、誰かを利用した代わりに提供できる、なにがしかの能力があるのだろうか…と自分を振り返ると暗澹たる気分になってきました。

 

思えば、今まで知り合ってきた人で、フリーで仕事を続けられている人、事業を継続できている人は、割と彼女と近い振る舞いをしていました。著者のようなやり方は、商売で成功する人に不可欠な能力であり考え方なのだと思います。

 

大人数の合コンを例に挙げるとわかりやすいと思うのですが、著者のような人は、会場に入る前に自分の譲れない条件をしっかり把握し、事前の情報取集も抜かりなく行い、ここぞと思う男性を見つけたら、主催者に上手に取り入って、その人の近くの席を確保し、連絡先をしっかり交換できるタイプだと思います。

他方で私はというと、何の策も練らずに参加して、案の定好みのタイプ自体が自分でもわからず、誰にも興味が持てず、でも壁の花になると主催者に気を使わせちゃうかなーなんて考えて、興味はないけれど、他者を排除しなさそうな、自分が傍にいても仲間外れにしなさそうなグループを探して合流します。

実際は話題の中に入っていけず、いてもいなくても変わらない、ある意味壁の花より無色透明な存在になる悪手なのにもかかわらず。

その上で、壁の花になっている人がいたら、その人と知り合いたいという気持ちはゼロでも(空気が読めて人が周りに集まるような人に憧れるので、好みのタイプではないのです。)、自分を見ているようでいたたまれなくなり、頼まれてもいないのにその人のところに行ってしまい、結果他のグループからは浮いちゃうタイプなんです。

しかも所詮人見知りで会話下手だから、壁の花になっている人とも大して楽しい時間を過ごせず、かえって迷惑だったかも、と毎回帰宅後に反省会を開くという。知り合ったら楽しいかもしれない人が他にもいたかもしれないのに、それを見逃し、著者が言う「無駄な時間」だけを過ごして帰っていくということを何度繰り返したことでしょうか…。

 

こう書くとお人好しそうですが、そうではないことは自覚しています。

壁の花をやっている人にとっては、むしろ迷惑だったかもしれないですし(その可能性が高いことを否定できないのが悲しい)、その人のことを思いやってやっているわけでもなく、その人の姿に自分を重ねてしまって、心底いたたまれなくなり、自分の心の平安のためにやっているだけにやっているのです。会話を弾ませる技術もネタもないので申し訳なく思いつつ。 (…これもある意味相手を利用しているのかな?無意識だったけど…。)

 

次に知人から劇やライブのチケットを売られた場合を例にします。

私は、そういうことをされると、搾取された、利用された、と感じて、素直に頑張ってね!応援するよ!とは言えなくなってしまいます。

経済的にゆとりがないのは相手にだってわかっているのに気遣ってくれないの?って思っちゃいます。よっぽど親密な間柄なら、私が見たら喜んでくれるのかな?なんて思ったりもしますが、チケット販売目的の関係?私のことを利用しても良いと思っている?と疑心暗鬼になります。

なので1度は内心渋々買ったとしても、だんだんその人とのお付き合い自体が苦痛になり、結局フェイドアウトしちゃいます。当然1度は買ってあげていたとしても、最終的には相手に感謝もされず、むしろ疎まれたりもします。

相手にして見たら自分の仕事なり自分の趣味の成果なりを否定された気持ちになるんだろうなと想像はつくので、仕方ないと言えば仕方ないのですが。

もちろんそうする代わりに、自分がチケットを売らなきゃいけない立場になること自体を避けるし、万が一そういう立場になったとしても、チケット代は全部自分が被り、タダでもばら撒かないと決めています。私自身が、タダでもらったとしても、お花などの差し入れ代やスケジュール調整、気持ちの面ですごく負担を感じるからです。でもこう言う消極的な痩せ我慢は、あまり人には知られないしそれが故に好かれるということもありません。ただの人畜無害な人になるだけです。そもそも負担に感じるような利己的な人が世の中には少ないのでしょう。

私は、人間関係において、利用される、一方的に踏み台にされる、搾取される、と感じるような扱われ方がとても嫌いなんだと今更ながら気がつきました。お人好しどころか、自尊心が強くて損得勘定しまくっていて、ある意味傲慢でもありますね。

こう言う警戒心の強さが、危ない人に騙されたりせずに済んでいる理由でもあり、人間関係が広がらない原因なのでしょうけど。

 

本当に優しかったり、本当にお人好しだったりする人は、快くチケットを買って心から応援できる人のことを言うのだと思います。

で、実際にそう言う人もいるんですよね。利用されているとすら思わず、むしろ自分が観に行くことを喜んでもらえることが嬉しい!っていう人。あるいは利用されていると思ってもそれを許せる。憧れます。ちなみに私の周りの裕福なマダムにわりと多いのがこのタイプ。裕福だから鷹揚でいられるのか、鷹揚だったから裕福になれたのか、知りたいところです。

 

さらに事業で成功するようなタイプの人は、そこにプラスアルファがあります。

まずこういう場合、感情面はさておき、チケットを買うメリットがあるかどうかを冷静にジャッジします。なければあっさり切り捨てもするのですが、メリットがあるならニコニコと買う代わりに、自分の商品を買ってもらったり、相手の人脈を利用して利益になる人を紹介してもらったり、なんならコラボして自分も儲けを出したりと、ギブアンドテイクか、チケット代以上の利益をそこから得ていくのです。それもお互い笑顔で。

しかも、端から見るとメリットなんてないだろ、みたいなシチュエーションでもメリットを見つけ出したりします。

相手から損を受ける可能性がある場合、私は反射的に避けますが、このタイプは損を把握した上でも、それを上回る利益があるなら(あるいは自分が作り出せるなら)、相手の問題を許容する懐の深さを持ち合わせていることが多いです。

また「利益」としてとらえることの幅も広いです。金銭的なメリットだけでなく、友情や愛、義理人情みたいなことも「利益」に含んで考えられるのは、私なんかよりもむしろこのタイプだったりします。

で、著者は多分このタイプなんだろうなあなんて読んでて思ったんですね。あくまで勝手な想像ですが。

 

この3パターンのうち、一番閉じてて一番人生に発展性がなく、一番狭量で一番損なのは、こうやってみると明らかに私ですよね。

それを踏まえて、じゃあ、今後は合コンで、自分のタイプを見極めてうまいこと隣を確保すれば良いのでしょうか。じゃあチケットを買ったら代わりに、何かチケットうる??

 …無理!

綺麗事じゃなく、生理的にやっぱり無理!…何度心に問いかけても、もう反射的に無理!って思ってしまいます。

そして、その気持ちを無理に捻じ曲げなくても良いのかも、と言うのが今の自分のスタンスです。

若かったらもっと迷ったかもしれないけれど、R40にもなると、無理して取り繕っても無駄なのはわかってきますからね。

本当は人見知りなのに、壁の花になっている人にも積極的に話しかけることから、たまに社交的で優しそう、と言う誤解を招き、美味しい誤解なのでそういう人のふりをしたりもしたことがあったのですが、実際の心の中は上記の通りなので、だいたい長く続いて3ヶ月で化けの皮が剥がれるか、自分がしんどくなってフェイドアウト…、と言うのが今までの流れでした。

それなのに、今更、それよりさらに自分らしくない、要領の良い社交的な人のようなふりをしても、息切れするのは目に見えています。

さらに言うと、最後の成功するようなタイプの人、私は「すごいなあ、羨ましいなあ」と思うと同時に「怖いなあ、利用されて捨てられそうだな」と思っちゃって、心の底からは信用できないのです。遠くから見上げてすごいなあと感心するのが私に取って心地の良い距離なのです。

そんな、自分が心底は心を許せない、好きにはなれない人のふりをするのはしんどいです。

 

というわけで、この本の提案を私が活用する日は当分こなさそうですが、でもこの本を読まなければ、自分の無意識の対人行動がとても損であることも、もっと利益になる対人行動があることにも全く気がつかないままだったので、その点ではものすごく勉強になりました。

 

で、これを踏まえると、もう一つわかることがあります。

私は人間関係を広げることを今年の目標とし、その手段としての婚活パーティーや異業種交流会的には多少なりとも興味があったのですが、それは全くの検討はずれだと言うことです。

私はその手の会合に出ても、自分が知り合いたいタイプもわかってなければ、その人と知り合うための技術もなく、たとえ技術があっても使おうと言う意欲がなく、知り合いたくもない人と時間を消費し、結局番号交換もせずに徒労に終わる可能性が高く、しかもその流れを変える意欲もないからです。

 

ただ、それだと完全に閉じっぱなしです。八方ふさがりです。じゃあどうすれば良いのかな、と考えたとき、ポイントが少し見えてきました。

それは

  1. 人を見抜く目を磨く。人間観察をもっとする。
  2. 人に提供できる自分の強みを見つける。
  3. 人との関係が嫌になったときに、その人との関係の中で自分にとってプラスになる点を探す訓練をする。
  4. 「人脈」だけを目的とした集まりは、私にとっては時間とお金の無駄になるのは必至なので、集まり自体の目的あ自分にとって魅力的なものに積極的に参加する。(趣味の集まりやお稽古など。)
  5. そのためには、人と関わる趣味を見つける。
  6. 何もしないことは、必ずしもリスク回避にならない、ということを肝に銘じる。(この視点は投資などにもつながる問題だと思う。) 

です。 

自分に人を見る目がないからとビクビクしているからこそ、人間関係が閉じていくので、まずそこは改善したいです。また自分の強みを知っていないから人間関係に遠慮しがちなのだと思うので、そこも改善したいです。

次に、私は自分に害があるとみなすや否や、相手を切り捨てる傾向があるのですが、付き合いが上手い人を見習って、その人との関係のプラス面もちゃんと見つめ、付き合いを切り捨てる前に「保留」する時間を取ろうと思います。その上で付き合い続けるか、利用されても良いと思うかかどうかはまた別だけれど、人の良い面を見る訓練にもなる気がします。

その上で、やっぱり閉じたままではよくないし、新しい人間関係を築きたいとも思うので、趣味の関係には、もっと時間もお金も積極的に投資していこうと思うし、一人でやる趣味だけではなく、人と関わる趣味を見つけようと思います。

最後のだけちょっと毛色が違うのですが、私は「損しないなら得しないでも良い」と考えて、人間関係を閉じる方向に持っていく傾向が、人より強いのだなとあらめて感じたのです。孤立しちゃうと「損しないどころか損する」という現実に何度も直面しているのに…。本当の人間関係の巧者は、より少ないリスクを取った上で確実に利益を出します。2番目のポイントと重なるのですが、損しそうと思うや否や閉じるのではなく、利益を出そう、積極的にプラス面を見ていこう、そのためにはリスクを少なくした上で、自分がコントロールできる範囲のリスクに関して、時には取ることも必要だ、ということを、とりあえず肝に銘じておこう、ということです。(実際にそうするのは、もう少し人間観察の訓練をして、人となりを見抜けるようになってからになると思いますけどね。先は長いなあ。)

 

こうやって自分に置き換えながら読んでいくと、少しずつ自分が取るべき道が見えてくるから面白いですね。

 

というわけで、著者が伝えたいところとはおそらく全く別のところで、ものすごく考えさせられた本でした。

 

学校に提出する読書感想文としては最低ですが(ていうか、いいこちゃんだった昔の私だったら絶対こんな感想文提出してません。でも優等生ぶりっ子はもうやめたの)、ありがたいことに、著者の言いたいことは?本の内容を要約すると?な〜んて問題を出されることもなく、正しいかどうか採点する先生もいないので、自由に読み、正直に「自分にとってだけの、この本の意義」が言えます。こういう脱線が許される読書は、格別に楽しいですね。

(正直ついでに白状すると、トルストイの、かの大大大名作アンナカレーニナを読んで痛烈に思ったことは「女が男に依存すると不幸になる。自分で稼げる人になろう」でした。ごめんトルストイ。でも役立ってるよ!地肉化しているよ!おかげでフルタイムの仕事に意地でもしがみついてるし今でも独身だよ!)

 

あ、最後に繰り返しますが、そういうわけで、上記の内容のほとんどは、紹介した本の本筋とはものすごーく離れているので、本の内容自体は、ちゃんと公式の紹介などを見て判断してくださいませ。でも本当に面白かった!